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第686話

Author: 宮サトリ
そう言い終えると、奈々は鼻をすすり、感情を抑えながら数歩近づいて言った。

「それに......私がやったのはメッセージを削除しただけなのよ?彼女に何かしたわけじゃない。結局、彼女はちゃんと子どもを産んだじゃない。だったら、あなたさえよければ、私がその子どもを自分の子として育てることだってできる。私、もう自分の子どもなんて産まないから......ね、いいでしょ?」

瑛介は冷ややかな表情のまま、奈々を見つめていた。

「僕の子どもを......他人に育てさせる気はない」

「瑛介......」

彼の拳はぎゅっと握りしめられ、漆黒の瞳には怒気が宿っていた。

「......君が僕を助けてなかったら......もし、命の恩人じゃなかったら......」

そこまで言って、彼は言葉を飲み込んだ。

だが奈々には、彼の怒りが十分に伝わっていた。

もし本当に命を救ったという事実がなければ、彼は今すぐにでも彼女を突き放し、容赦なく制裁を下していたと奈々は感じた。

彼がこれまで人を処分してきた手段を思い返せば、彼女自身も、そして奈々の実家である江口家すらも無事では済まなかっただろう。

本来なら、ここで引くべきだった。

彼の怒りに触れず、二度と近づかなければ、命の恩人という肩書は残り、瑛介も宮崎家も彼女を無碍にはできない。むしろ、江口家に対して一定の支援を続けてくれる可能性だってある。

江口家が宮崎家を後ろ盾にして、安泰でいられる道も残っていた。

だが、奈々は、かつて宮崎グループの社長夫人になれる寸前まで行ったのだ。

その夢を、今さら「なかったこと」にするなんて、そんな落差......とても耐えられるはずがなかった。

少しだけ沈黙を置いたあと、瑛介は低く言った。

「......二度と、僕の前に現れるな」

そのまま彼は屋内に入り、奈々を一人残して扉を閉めた。

夜風が吹き抜けるなか、奈々はその場にじっと立ち尽くしていた。

風に晒された涙は、すでに乾きかけていた。

悔しさ、そして、弥生への憎しみが、心の中でどんどん膨れ上がっていった。

ホテルに戻った時、奈々の身体はすっかり冷え切っていた。髪は乱れ、心も荒れていた。

ちょうどそのタイミングで、母からのビデオ通話が入った。

気分は最悪だったが、画面に映る母の顔を見た瞬間、心の中に込み上げる感情が爆発した。

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